西暦800年代に、編纂された
「播磨国風土記」の記述にある、
「伊和の里14丘」の内の一つで、
冑が流れ着いた「冑丘」が、
現在の冑山であると言われています。
[日女道丘(姫山)から望む冑丘(冑山)]
[波丘(名古山)から望む冑丘(冑山)]
但し、冑山の標高が低すぎる為か、
「冑丘」を他の地点に比定する等、
歴史学上は、諸説あるようです。
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Author:tomoki7 FC2ブログへようこそ!
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