冑山神社の歴史①
姫路城主本多中務大輔政武公により、
姫路城の裏鬼門に当たる冑山山頂に
元禄14年春に、社殿を造営し、
城の守護神として、
天照大神、八幡大神、春日大神の三神を奉祠されました。
さらに、神社の永代運営を図るため、
領禄五石と近隣の農地を社有財産として下賜され、
代々の城主が参詣されたと伝えられています。
[冑山から望む姫路城]
その為か、現在も、冑山神社の各種祭礼の際には、
上記三神に加え姫路城用に奉献品が飾られ、
祭司が、姫路城方向に対し邪気を払い、
城の安泰を祈っています。
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冑山の由来②
冑山の由来
西暦800年代に、編纂された
「播磨国風土記」の記述にある、
「伊和の里14丘」の内の一つで、
冑が流れ着いた「冑丘」が、
現在の冑山であると言われています。
[日女道丘(姫山)から望む冑丘(冑山)]
[波丘(名古山)から望む冑丘(冑山)]
但し、冑山の標高が低すぎる為か、
「冑丘」を他の地点に比定する等、
歴史学上は、諸説あるようです。